10日間で大文字火床に51回登ったらしい。

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経緯

 京都大学熊野寮の1年に1回の祭典、熊野寮祭の企画である「1日1回大文字」に参加した。これはその10日間の備忘録として(主に無限大文字当日について)適当に書き綴ったものである。

「1日1回大文字火床」とは

 これは、熊野寮祭において「生活が崩壊しがちな寮祭期間に毎日登山をすることで健康になろう!」をモットー(?)に、寮祭期間前に34日連続で火床に登った狂った者により発案された企画である。

copynight.hatenablog.com

 上記リンクにもある通り、「登った回数部門」では1日3回までの火床登山回数がカウントされ、それとは別に「1日無限大文字火床デー」なるものを設定し、その合計回数を競うというものである。

 そもそも、1日3回までのルールのみだったらしいが、私が企画者と大文字に登った際に、最終日に同率一位の人が複数人いた時の話となり私が「最終日に無制限に登ったらおもろいのでは」と口走ったことを起点(?)にルールが改定され、「1日無限大文字火床デー」なるものが誕生した。(企画者は火床その場で下のルールをポチポチしていた。)

寮祭期間中

 初日は企画者も含め8人が大文字火床に3回も昇り降りしていた。アホである。

そもそも大文字火床なんてところは1日に3回も登って楽しいところではない。1回目に降りてきた時の「あと2回昇るのか...」感が半端ない。

 3回ですらかなり怠い中、無限を最終日付近に残すのはかなり嫌だったので、この時点で2日目の無限決行を決心した。

1日無限大文字デー

 早めに寝ようと思っていたが、課題レポートに追われ結局不眠で無限大文字に挑むことになった。1日目は4:30に起床し3回登っていたので、すでに20時間程度覚醒状態にあり、ここから24時間活動し続けるのは些か無謀が過ぎるのではないかと感じたが、いけそうな気分だったので行った。

 今回の無限大文字挑戦はハーフエベレスティングラン(同一路を往復することのみによって、フルで8848m,ハーフで4424mの獲得標高を得る競技)も兼ねての挑戦だったため、途中で経路外のコンビニに行くことを避け、補給物資を大量に用意し持参した。具体的にはウイダーinゼリー12個(マラソンイベントの懸賞でもらった)とおにぎり8個である。

当日の様子

 1~6回目/0時~4時,は1往復40分を維持しながら順調に回数を重ねて行った。ex帰寮に参加するために0時から3往復してる阿呆ともすれ違い、TwitterのTLでex帰寮参加者の動向をチラチラ見ながら昇降を続けた。ここらへんはまだまだ呑気なものである。

 7回目の登りくらいから足腰が痛くなり始め、また4時ごろ人が全然居ない時間帯ということもあり精神的にも辛くなり始めたのだが、ex帰寮で遠方に飛ばされた上に雨まで食らってる人たちがいるTLをニヤニヤ眺めることで凌いだ。ちなみにここらへんでリスを見かけた。大文字ではSSR級のレアキャラである(当社比)。

 8~11回目/5時~8時,あたりで何度か通り雨を食らった。先ほどex帰寮参加者を愚弄したバチが当たったらしい。この頃には登り30分,下り20分,休憩5分のようなペース配分のため心拍数も上がらず、奪われていく体温にかなり恐怖を感じていた。人間低体温状態が一番怖い。足腰もかなり来ていたため、ここらへんが精神的にも肉体的にも一番辛くて、マジで「家帰ってお風呂に入りたい」以外の感情がなかった。

 12~16回目/9時~14時,紅葉シーズンということで一般の行楽客が大量に登山しておりかなり気が紛れた。15回目には近所の友人が昼飯を届けてくれ、ついでに一緒に登った。かなり気が楽になった。相変わらず通り雨は酷かったが、ex帰寮で安曇川の方まで飛ばされ雨に打たれている友人をTLで見ながらなんとか続行した。

ちなみに16回目で獲得標高が富士山を超えた。

 17~20回目,かなりひどい通り雨と強風に晒されたり、昼飯くれて下山後別れた友人がなぜか頂上の方から降りてきて再会したり、火床でめちゃくちゃ綺麗な夕焼けが見えたり、20回目でようやくハーフエベレスティングランを達成したりした。

再会した友人からは「明日愛宕山登るんやから20回でやめて帰って寝ろ」と口すっぱく言われたので「終わった、かえる」と嘘をついて続行した。ツイートで後からばれた。ごめん友人。

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 21~23回目/18~20時,別の友人が3回登りに来ていたので一度だけ一緒に登った。かなりハイペースで、ここに来て登り18分とかいう当日最高記録を出した。心拍数は173まで上がっておりかなり汗をかいた。

またこのあたりから最後までずっと雨が降り続けていたが、すでにずぶ濡れだったので正直あまり気にならなかった。ここら辺になると感情の起伏も小さくなっていたのである。

 24~27回目/20時~24時,残り3.5時間ということで、あと4回登って27回目で締めようと考えだす。ふりしきる雨を無視して、黙々と、ただひたすらに足を前に上に進め続けた。それなりの降雨にも関わらず、雨具なしで3往復する人間ともすれ違ったりした。みんな阿呆である。

そしてついに...

こうして私の「1日1回無限大文字火床デー」は終わりを迎えたのである。

 44時間覚醒状態を続け、24時間ぶっ続けに山を登り倒した身体は言うまでもなく疲弊しきっており、下山してすぐに倒れ込みたくなったが、本格的に命の危険を感じたので這うようにして帰宅した。洗濯を終え、風呂を浴びるともう2時近かった。

3日目以降

 6時半ごろ、4時間しか寝ていないのに友人から電話で叩き起こされ、僕は洗濯物を干し、愛宕山に向かっていた。阿呆である。

 天気も良く、少し雪をかぶった愛宕山はかなり綺麗だった。

 それはさておき、2日で30回も登り大文字ゲージを一生分使い果たしてしまったので、正直もう一生大文字山には登りたくなかったが、無限大文字に挑戦している阿呆がいたのでお目にかかろうと、結局大文字へ向かい、3回登ってしまった。

 もう大文字登山道には阿呆しかおらんかった。

 その後の寮祭期間では、重めの捻挫をして一日だけサボったものの、それ以外は結局3回皆勤して合計51回登った。途中で正規ルートに飽きたので色んなルートを開拓したりしてとても楽しかった。

ちなみに、総移動距離:140.29km   総獲得標高:12624m というのは大体富士山登山(5合目~山頂)9回~10回分に相当するらしい。1日1回富士登山やんけ。

 そして念願の「企画者の金で焼肉」も享受した。

 

まとめ的な

 私は普段、熊野寮との関わりもなく、これまで熊野寮祭の企画に参加したこともなかった。そのため、熊野寮祭に対して「NF祭の後になんかやってるヤツ」程度の認識しかなかったのであるが、今回初めて(寮外開催企画ではあるが)寮祭企画に参加できたことで僅かながらも熊野寮と関われてかなり良かった。

 

 その上、毎日運動を続けたおかげで便通は3倍になり、体脂肪率は3%減り、企画者の金で肉も食えた。最後まで企画者の尽力が光る最高の企画であったと思う。本当に企画者に感謝である。